御手洗(4)
御手洗にとっては、遊女は港町の表看板のように宣伝され、その日常も少なくともうわべは華やかであった。
毎年正月二日には遊女を動員して、晴衣装を着させ、三味線を鳴らしながら町内を年始のためにまわったことが町のしきたりになっていた。吉原や島原をしのばせるおいらん道中であった。文政11年防波堤千砂子波止を造ったが、そのとき港の鎮守として住吉神社が建てられた。その社寺の埋立式には町中の遊女が着飾って参加し、他国を始め近郷からこれを見物するために群衆をなしたといわれる。住吉神社が完成した最初の祭りには、派手やかな、おいらん道中がくりひろげられた。このように遊女たちは事あるごとに町の看板として、たびあるごとに行事にかりだされた。

お茶屋若胡屋の遺跡と御手洗
下鍛治尚眞氏編集64ページより引用させていただきました。

写真は御手洗の古い建物の格子のかけられた小さなすだれといけばなです。






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