古い建物は古い友だち。尾道の料亭旅館魚信のお献立。(尾道の黄金時代(下))

12000円
サービス料15%込み・消費税5%込み

■先付 アナゴ煮凍り・木ノ芽
■先付 山葵漬け
■刺身 クルマエビ・タイ・カンパチ・山葵・芽立
■煮物 メバル煮付け・里芋・竹の子・絹さや
■焼物 カレイ源平焼・山桃・はじかみ
■油物 オコゼ唐揚・花蓮根・タラの芽
■酢物 オコゼ薄造り・紅葉卸し・青葱
■蒸物 タイオクラとろろ蒸し・カニ銀あん・山葵
■吸物 モズクつみれ・三ツ葉・湯葉・木ノ芽
■御飯 ウニ御飯
■果物 メロン

写真は焼物 カレイ源平焼・山桃・はじかみ
です。


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尾道の黄金時代(下)

第二期黄金時代

豊臣秀吉も尾道を瀬戸内海の要衝として重要視していた。太閤さん
は茶人で小川又左衛門の家に泊り、長江の山城戸の井戸の水を使っ
て太閤へお茶をたてた。この井戸のいわれを刻んだ石碑があるが、
この石碑を石垣に築いてあり現存している。

尾道の古い屋号の子孫、縁者の名前も残っている。渋屋氏・小川氏
は分家が残っている。今村屋は尾道市街の東部にある現在の敬文堂
の近くにあった。

徳川時代北海道から日本海を通って来る西回りの航路を河村瑞賢が
開発し、北前船を使って海産物を持ってきて、帰りに畳表、石灯籠
鳥居、塩などを買い付け、東日本へもって帰って商売した。尾道
から遠く離れた東北地方に尾道の名が入った石の鳥居や石灯籠が
あるのは当時輸出した証である。畳表は栗原地区で生産し、塩は
松永・尾道・竹原地区の塩田で生産していた。

以上のように尾道は隆盛していたので、当然遊女も多く色町も
繁盛していた。特に徳川家綱の時代が最も栄えた第二黄金時代で
あった。

尾道は土地が狭いので、251年前(1741年)奉行の平山
角左衛門は、住吉浜を埋め立てた。平山は名奉行だったので、
功績をたたえて浄土寺の東方にある平山神社におまつりしてある。
また功績をたたえて平山角左衛門を尾道名誉市民第一号にしてある。
今でも行われている港祭りは、実は平山祭りである。

第三期黄金時代

明治維新で当時の豪族は全て倒れてしまった。大正の第一次世界大戦
に日本は参戦しなかったので景気は低調であったにもかかわらず、
尾道は造船ブームで大繁昌。当時広島県下一の成金振りで、第三期
黄金時代を迎えた。

尾道は戦災に遭わず戦後景気で発展してきたが、現在は衰退傾向にある
ことは残念である。21世紀の尾道こそ、文字通り「瀬戸内の十字路」
と呼ばれる交通の要衝として新時代を迎えるのだ。これを天与の好機
として「みなと尾道」の第四期の黄金時代の「必到来」を心から祈る。


財間八郎先生が平成4年に講演された抜粋をもとに著書「夕映え」
より確認・追加しました。文責は魚信にあります。


 
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