御手洗(2)
御手洗の富クジ

港が繁栄するためには、あの手、この手で沖往く船を引きつけ、人寄せを行う必要があった。御手洗では、人形芝居の興行も早くから行われていた。上方から九州に向かう人形芝居の一座が興行を願い出た記録が、すでに宝暦6年(1756)にみられる。そのことから、すでにまちには、芸事を楽しむ余裕があった、とうけとることができる。
 また、文政元年(1818)には、弁天社の修理を捻出するため、古舟売買の市を立てることを年中行事以下10名の人びとが町年寄に願い出ている。古舟市はその後、年ごとに行なわれたようで、伊予方面などから人びとが集まり、賑わいをみせた。さらに、文政9年(1826)には、蛭子神社境内において最初の富クジが行なわれた。のち、富クジはいく度となく興行される。芝居興行や富くじが宮島、尾道とならんで許されたことは、御手洗の港に他国船を少しでも多く誘致するという藩のもくろみがあったからである。
(瀬戸内『御手洗』の町並みより23ページより引用)

写真は御手洗の町並み






魚信のホームページへリンク

 
Comment(0)TrackBack(0)
TrackBackURL
ボットからトラックバックURLを保護しています