若胡屋
■名称 若胡屋跡(わかえびすや)
■場所 豊田郡豊町御手洗 
■TEL 潮待ち館・観光交流センター
    08466−7−2278
■アクセス 三原港から山陽商船で1時間。大長港下船徒歩15分。または竹原港から約40分。
■歴史   河村瑞賢が西廻り航路を整備した江戸の中期に「沖乗り」の航路の寄港地として、新たにひらかれた港町です。広島藩の公認で沖往く船を引きつけ、まちの繁栄をはかるため、四軒の茶屋(遊女屋)置かれました。若胡屋、堺屋、藤屋、海老屋です。文政2年(1819)の「国郡志御編集下弾書き出し張」によると、若胡屋は遊女40人、堺屋(酒井屋)、藤屋(富士屋)はそれぞれ20人、海老屋(のち千歳屋)は15人の遊女を抱えていたことが記されています。当時、四軒の茶屋をあわせると、百名ちかくの遊女がいたことがわかります。
(引用瀬戸内「御手洗」の町並み−潮まち館・観光交流センター刊)
■建物 江戸時代、御手洗地区に4軒あったという茶屋のうち、唯一現存する建物。最盛期には、百人もの遊女を抱えていたといわれています。おはぐろ伝説の壁が残っています。(県史跡)「若胡子屋の別棟の座敷は8畳・8畳・6畳の3室から構成されていますが、天井には屋久杉を使い、障子は赤漆の塗框にして腰板に屋久杉を使うといった素朴さの中に贅を尽くした構成になっている。(中略)なお、若胡子屋の建築年代は形式的には18世紀初頭と見られ、1724(享保9)年に御茶屋として藩の免許を受けているので、その時代と考えてよいであろう。」
■尾道との関連 文政11年「諸書付控帳」によると高宮郡古市村ふゆは、だまされて藤屋へ売られてきたが、逃亡を図るなど抱え主の手に負えなくなり、尾道に転売されています。(引用お茶屋若胡屋の遺跡と御手洗−潮まち館・観光交流センター刊)1830年天保以前版全国遊所番付には1段目に尾道・宮島・御手洗があります。

写真は若胡屋跡の中庭。


 
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