魚信の由来(7)
大正13年から昭和3年までは個人の所有になっています。
その方の名前から「竹亭」にゆかりがあるおそらくは「竹亭」の代表者の親戚ではないかと思われます。
竹亭と同じ名前が財間八郎先生の著書「夕映え」の227ページに慶応3年10月14日の「大政奉還」直後の混乱に関連して書かれています。
『そのため西の尾道方と東の福山方は、防地峠を境として、まさに一触即発の切迫した状況で、尾道方(芸州・長州)と福山方(阿部家)の交渉談判の使者の出入りも頻繁であったが、こうした公式の使者の応接は、殆ど市中の料亭でやったので、当時の記録にも、竹亭・鶴亭・胡半などの有名な料亭の名が見られる。』(著書より引用)
屋号が同じだからといってこの「竹亭」と同一かどうかはわかりませんが同じとすると140年前の話になります。その時代に魚信の前身の建物が既に建っていたのか、それが「竹亭」として使用されていたのか、はわかりません。
おそらく魚信の所在地の埋め立ては明治時代でしょうから慶応3年の「竹亭」は別の場所にあったと思われます。
現在の謄本では大正13年から以前は掲載がありません。

 
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