浄土寺
浄土寺の由緒(3)

 次いで三代義満の時、九州探題今川了俊も数ヶ月をこの寺に過ごして戦備を整えました。足利氏が浄土寺に寄せた関心はこんなに深いものがありました。その後、室町将軍の権威はおとろえ、地方の武士は盛んに寺領の侵略をはじめ、戦国期に至っては浄土寺領の如きも全く荒らしつくされました。
 関ヶ原決戦の後、芸備の地は福島領となり寺領の全部を没収されてしまいました。つづいて浅野藩の治下になってからは、藩主浅野氏との関係もうすくなり、尾道地方在住の豪商の外護をうけるようになりました。つまり支配者階級依存の寺院から民衆の信仰中心の寺院へという動きが次第に濃くなってきました。即ち寛永の多宝塔、貞享の開山堂、元禄の方丈、正徳の金堂、阿弥陀堂(阿弥陀堂修理正徳2年5月16日)護摩堂、経堂、享保の食堂などの修理、改築、文化の露滴庵の移築などはよくこの事を証しています。

(浄土寺案内より次回掲載は8月30日予定)

(写真撮影は四国新聞社オアシス編集室白井 仁美さん)


 
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