浄土寺
浄土寺の由緒(2)

備南の良港尾道は、中古以来交通・経済・軍事各方面の要地でしたが、この地方の人々の信仰の中枢は実に浄土寺でありましたので、この寺を味方に付けるためには、公家方・武家方共にあらゆる術策を試みました。
先づ建武の乱の際には、後醍醐天皇は綸旨を空教上人に賜うて天長地久の祈祷を命じ、その賞として因島地頭職を寄進されました。
これに対して足利尊氏は建武3年(1336)の春、西国に下った際、浄土寺観音に戦運挽回を祈って世羅郡得良郷や因島の地頭職を寄進し、同年5月5日大挙東上のときは浄土寺本尊の前に参籠して、法楽の和歌33首をその法前に備え、一万巻の観音経を読誦して戦勝を祈願しました。
その後、尊氏が全国に安国寺と利生塔を設けたとき、備後の利生塔は浄土寺の境内(元筒湯小学校々庭)に建て、その造営料所として芦品郡の金丸・上山の地頭職、草村の公文職を寄進し、香灯の資として比婆郡櫃田村を施入しました。

(浄土寺案内より次回掲載は8月29日予定)

(写真撮影は四国新聞社オアシス編集室
白井 仁美さん)


 
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