魚信の由来(3)
その後経営は備前さんから代りましたが代々「魚信」の屋号の名で「料亭旅館」として営業しています。謄本によれば1社をはさんで、昭和40年から今日に至るまでの40年間以上、株式会社千光寺山荘グループの魚信が経営に当たっています。

建物としては、昭和52年ごろ、海岸通りの市道拡張で建物を一部
削って塀を後ろに下げた時に道路側からの外観や玄関が変わりましたが、海側の外観はほとんど変っていません。
数寄屋造りの建物を目当てに魚信にお見えになる観光客の方も多く、数寄屋造りの特徴を書いた小冊子をお渡ししています。内窓などの障子の桟にも特徴があります。細部の造作の補修なども原形を保持するように努めています。

備前さんから今日までは以上述べたとおりですが、さらにさかのぼってこの建物の前身を調べています。尾道の郷土史を参考にしながら久保町についてお知らせします。

 
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