魚信の由来(2)
昭和25年頃改装工事を行いほぼ現在の数寄屋造りの建物になりました。備前亀治郎さんが大工の棟梁を連れて京都の数寄屋造りを見学したり、尾道市内の優れた細工を写して内窓を造りました。
「初音」のお部屋を増築して3階建てにしたのもこの時です。
当時は「日立造船」や三原市にある「帝人」のご利用が多かったと聞いています。
入口の横の応接室には昭和22年の料金表が残っています。
広島県旅館業協同組合の旅館宿泊料金表には、1泊2食付で一等八五圓・二等八〇圓・三等七〇圓と書かれ、横には英文字がちゃんと記されています。
その当時尾道には千光寺山のある個人の別荘にGHQの情報部があり、
その人たちが魚信を利用されたこともあり、英語表記はお部屋にもあります。

 
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