尾道浄土寺の小林ご住職の法話より
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尾道浄土寺の小林ご住職の法話より

 今日はよくお参り頂きました。浄土寺の石段は厄年を乗り越えられるようにと33と42の合計75段あります。
登られる時に「どっこいしょ。どっこいしょ」と声をかけられたと思いますがこのどっこいしょは「六根清浄」からきています。六根とは眼耳鼻舌心意です。

 山門をくぐるとすべての人が晴々とした心で善男善女になります。

 すべての人は瞼を閉じればお母さまの優しい笑顔が浮かんできます。実はすべての人には2人のお母さまがいます。1人は生みのお母さまでもう1人のお母さまは観音様です。観音様は生きとし生けるもののお母さまです。浄土寺の本尊は観音様(十一面観世音菩薩)です。浄土寺は真言宗のお寺です。

 慈悲心が最も大事です。やさしい心の状態が幸せな状態です。甘やかすことではなく大慈悲の心、喜びも悲しみも共にすることです。おかげさまで(報恩)ありがとうございます(感謝)という簡単な言葉でやさしい心になれます。

   
 手は幸せになるために天から授かったものです。手があるのは人間だけです。動物には足しかないない。いざとなったら4つ足で逃げます。右手が仏の手、左手は衆生の手です。2つの手を合わす。すると心が整ってきます。手を合わせて合掌している姿が人間として最も美しい姿です。  

 心(
ココロ)という字には2つの点があります。あれは涙を表しています。二粒の涙は喜びの涙と悲しみの涙です。心のある動物が人間です。心眼が開かなくてはなりません。心眼で見る物は形のないものを見るのです。相手の心を察したり、同情したりできることです。  

 蓮如上人の名残の名号が阿弥陀堂にあります。蓮如上人が6歳のときに本願寺にいてはいけないとお母さまは自ら身を引いて別れ際に「母に会いたくば我は備後の国浄土寺にいる」と言われました。17年経って、蓮如上人が成人されて布教の旅の途中で浄土寺にお立ち寄りになられたがお母さまは居られず生涯会うことがかないませんでした。涙を硯にためて六字の名号をお書きになられたそうです。

 浄土寺の秘仏は
1メートル60センチの檜の一木造りです。本堂の天井あたりに前立の掛け仏がご覧いただけます。 

 やさしい心になれば戦争が無くなる、夫婦げんかが無くなる、子供の心がすくすく育ちます。やさしさとは甘やかすことではなく、大慈悲の心です。喜びも悲しみも共にする。子供が喜んでいたらともに喜び、悲しい時にはともに涙を流すことです。


 おかげさまありがとうございます。でやさしい心になれます。報恩と感謝。家庭円満。感化。一番簡単な言葉で一番幸せになる言葉です。
 

 右手は仏。左手は衆生。感謝と御祈りをすること。冥福を祈るとは亡くなった人の幸福を祈ることです。


 御本尊のすぐ近くの像が
3歳(満2歳)の時の聖徳太子像(南無仏太子像)です。 用明天皇がお父さまに当たられます。仏教を尊んで拝んでいらしたお姿を見て聖徳太子がお祈りする心が自然に芽生えられ何も教わらなくても合掌されている像です。

 16歳の時の孝養太子像、摂政太子像の3体があるのは近畿以西浄土寺だけです。聖徳太子は日本における仏教を広めた最初の人として称えられています。


普通の人は3歳のことは覚えていません。覚えていないけれども3歳までやさしくしていただいたことをお返しすることが親孝行です。

 大慈悲の仏様である観音様をは心眼を持って私達の心を見透かしてくださいます。命をいただいて命をはぐくみ命を生かしていただいていることを感謝して有難うございますと神仏先祖の前で日頃から拝んでください。

 お祈りをする時「有りがたきかな。尊きかな。」と唱えてから「どうぞお守りください」と唱えてください。お祈りをすると慈しむことができるようになります。

慈しみの心が育てばやさしい心になり、幸せになります。毎日のすべてのことがうまくいきます。


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(本堂の建築について)
 616年。聖徳太子の開基。
 火災で全焼した後1326年道蓮・道性夫妻が再建されました。道蓮・道性は海商(問丸)を営み水軍(海上軍隊)を統率することのできるような力を持っておられました。当時寺宮を造ることが最高の善行で今日まで夫妻の名を残されたものです。南無仏聖徳太子像も道蓮・道性の寄進です。
 建築様式は和様と天竺様との折衷様式で奈良東大寺を建立した大三島に拠点を置い ていた三島大工が施工しました。
 本堂には足利尊氏公参籠の間があり1336年の2月と5月に南北朝の動乱が収まり天下泰平の世になることを祈念し、湊川の戦いに臨まれました。
 
 道蓮・道性を中心とする尾道商人が足利尊氏に加勢したものと思われます。足利尊氏は清和源氏で源氏でなければ征夷大将軍になれませんでした。豊臣秀吉も織田信長も源氏ではないので征夷大将軍にはなれませんでした。徳川家康は新田義貞の子孫ということで征夷大将軍になりました。足利尊氏は着物に菊桐(五七の桐)の模様を付けることを許された最初の将軍です。

 従来足利尊氏とされていた馬上のひげ面の肖像画は家来の高師直であろう。浄土寺の宝物殿にある肖像画は、お顔が頼朝像に似ておられる。束帯の模様も足利氏であることを示す五七の桐が地に見えます。

(本堂の内部について)
 タイコは本堂より古く、鎌倉時代の太鼓で本体は栗の木でできていて。足の部分はケヤキでできています。法要の始まる前の触れ太鼓でした。足利尊氏公もかつて子の太鼓をたたかれました。

 観音様のお姿の絵がありますが、十一面の1番上のお顔は阿弥陀如来様で観音様が阿弥陀様の化身(お使い)であるということを表しています。阿弥陀如来様は西方浄土に在られ観音菩薩は我々と喜びも悲しみも共にしてくださっています。

 愛染明王の矢が天を指しているので天空愛染とよばれていて珍しいものです。

 本堂右手には弘法大師像が祀られています。

 本堂左手には如意輪観音像が祀られています。6本の腕は六道の救済のための手です。天・人間・阿修羅・畜生・餓鬼・地獄の六道です。1本の手を頬にあてておられるのは一番悩みの多い存在である人間をどう救おうかと思案されている様子を表しています。

 本尊の北には大黒天が笑顔で居られます。無財の七施のうちの二つ和顔愛語を心がけていればうまくいきます。

「お元気ですか。にこっと笑って今日は。お大事に」

黒くなっている壁画には中央に如意輪観音右には不動明王左には愛染明王が描かれています。

(境内について)
 多宝塔も国宝です。特に高野山金剛三昧院や石山寺の多塔宝と並び鎌倉三塔と呼ばれています。阿弥陀堂と山門は重要文化財です。

(阿弥陀堂について)
 卍くずし模様は、奈良の藤原という大工の棟梁の造った傑作で見る角度によって卍の字に見えたり菱形(英語のX)の字に見えたりします。近づくと白に離れれば赤そして緑に色も変わります。
 
 天井は折上小組格天井で、中央に阿弥陀如来像・右手に観音菩薩像・左手に勢至菩薩像の阿弥陀三尊です。1000年以上ここに居られます。
 施無畏の手は大慈悲の心であらゆる畏れから守ります。

(宝物殿について)
 源氏物語絵扇面散屏風が期間中公開されています。他に釈迦涅槃図・足利尊氏肖像画・両界曼荼羅図・絵馬・聖徳太子像(孝養像・摂政像)・大日如来坐像(金剛界・胎蔵界)など拝観いただけます。


 


 
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